一口馬主復活!(3)95年シルク初出資
ワタクシが社会人1年目だった95年当時は、第2時競馬ブームの後半期に差し掛かった時期でした。
88年に公営笠松から中央の舞台にオグリキャップが現れたことによって一気に膨れ上がった世の中の競馬熱はその後更なるヒーローを求めるようになり、そこに颯爽と登場したのが94年三冠馬のナリタブライアンでした。
前述の牧場巡りで競走馬に魅了された私が一口馬主を知ったのはそんな折でした。
「一緒に一口馬主になってみないか?」
懇意にしていた先輩から初めて聞かされた一口馬主という言葉。その内容を聞けば聞くほど、知れば知るほどその仕組みや楽しみ方に魅力を感じ、私たちは一通りのクラブから資料を取り寄せて夜な夜な検討したものです。
当時の募集は冠名が付くのが主流で、シチーやタイキ、カネツ、そして新規募集のシルクと複数クラブが存在していましたが、クラブの姿勢やバックグラウンド、また各募集馬を詳細に吟味した結果、仲間3人共同出資で新設のシルクで3頭出資することに決定しました。
その時出資の1頭であり、後に一口馬主の夢も悲哀も具現化してくれたのが97年有馬記念を制したシルクジャスティスです。
1つ目の出資理由はナリタブライアンの父ブライアンズタイム産駒であったこと。
2つ目はブライアン同様、厩舎が大久保正陽氏であったこと。
3つ目は母の5番仔でしたが上に3勝以上の勝ち馬が2頭いたこと。
その当時、全くの競馬素人であったワタクシには出資馬を選ぶことなどできるはずもなく、全て先輩に選定してもらいました(≧∀≦)
初年度出資馬からいきなりG1馬が持てたことが一体どれだけすごいこと、幸運なことなのか、後に周りから聞かされて初めて知りました。
それを機に一口馬出資選定の楽しさや難しさ、そして奥深さにどっぷりとハマってしまったワタクシでしたが、それから3年後の先輩の転勤をキッカケに共同出資関係が自然消滅、それと共に私自身も徐々に熱を失ってしまい加入から4年で退会することになりました。
当時の所有馬計8頭のうち、勝ち馬は3頭、逆に未出走馬も3頭。トータルでギリギリ利益が出るくらいでのフィニッシュでした。
ワタクシが一口馬を初出資してあれから27年、今では一口クラブの状況がだいぶ変わりましたねー😳
まず驚いたのはクラブ数が昔よりもめちゃくちゃ増えてるってこと。そして人気クラブは抽選がある上になかなか希望馬に出資できないという現実。
四半世紀の隔世の感もいいとこですw
次回は昨年のクラブ選択について触れてみたいと思います\(//∇//)\